【茨木市】黒井の清水大茶会に行ってきました!【茨木神社】
平成30年10月20、21日で開催されてました『黒井の清水大茶会』に行ってきました。
境内に入ると、お茶会の野点のお茶をたてています。
まず、茨木神社にお参りを。
中では七五三の祝詞をあげてたようです。
茨木市観光協会のブースで、『黒井の清水大茶会』ガイドツアーってのを開催してまして、通りすがりに声をかけられたので、早速お願いしてみました。この無料のガイドツアーに参加すると、お茶券と抽選券がセットでついたチケットを貰えるのです!
茨木城跡を色々歴史の勉強をさせてもらいながら散策出来て、更にお茶券も貰えてしまうなんてお得過ぎますね!
先ずは、阪急本通商店街に続く方の参道にある搦手門(からめてもん)から。
役300年ほど前、関ヶ原の戦いから16年後の西暦1616年、徳川家康は一国一城令を発布し、廃城の対象となってしまった茨木城の唯一の遺跡です。
茨木市民としては、何気に通り抜けることの多い門ですが、歴史を知ると自然と頭が下がりますよね。
この石鳥居も、茨木神社の表通り側の鳥居を新築した時にこちらに移設されたものです。
茨木神社と天岩戸別神社と二つの名前がありますね。茨木神社は表の本殿、更に由緒のある天岩戸別神社はその裏にあります。
最後に巡ってきますけどね。wikiによると、大同二年西暦807年二月坂上田村麻呂が荊切の里を作りし時、天岩戸別神社が鎮座された。
次は梅林寺。ここの屋根には立派な鯱鉾がありますね。
鯱鉾といえば、私はお城の天守閣についてるものおというイメージだったのですが、梅林寺の屋根には立派な鬼瓦、鯱鉾、狛犬が装飾されていて、見応え抜群の景観なんですが、どれも守護する目的であるものですよね。ここには守らなければいけない何かがあるのでしょうか。気になります。
狛犬ですね。
こちらも。
古い方の鯱鉾らしいです。強そうですね。なぜか白黒で撮れてます。汗
茨木城主だった中川清秀の紋、中川柏
清秀公と弟の淵之助公のお墓。丸い石の下の四角い石だけが、古い当時のもの。この写真もなぜか白黒・・。
明治天皇の東宮殿下(大正天皇)が宿泊されたとの記録。
次は茨木小学校の校門。
茨木城の櫓門を再現したもの。茨木小学校120周年記念として、茨木城が廃城になった時、櫓門は奈良県の大和郡山市の慈光院に移設されたのですが、そちらは藁葺き屋根、こちらは瓦葺き屋根として再現しています。
さて次は「田中のトンネル」も案内していただきました。おまけとして。
線路の下の生活道路を塞いでしまわないために作られたこのトンネル。数々の地震、台風に遭いながらもほぼ壊れすに、人々の生活を支えています。
下の石垣は高槻城の石垣を遺蹟したもの。
茶人千利休の一番弟子と言われる、古田織部の元の名ですね。古田佐介邸に敷かれた樋跡です。今は枯れてしまった茨木川の清水を引いていた跡。
これも。
これは茨木城の石が秋だったものらしいです。
さあ、このガイドツアーの最終目的地「黒井の清水」跡です。天岩戸別神社の更に奥にあります。
今となっては枯れてしまって幻なんですね。洪水を避けるために茨木川と安威川を繋いだら、洪水は治まったものの、茨木川も黒井の清水も枯れてしまったのです。
こちらの天岩戸別神社の真後ろにあります、この竹の蓋。これなんと「赤井の清水」だそうです!
天岩戸別神社まで案内していただき、ここでツアーは終了です。
左の方に案内していただきました。楽しくて勉強になる素晴らしいガイドありがとうございました!
真ん中は茨木市観光協会の会長様です。
野点は大盛況!
ちょうど子供狂言師の口上が始まりました。新作狂言「茨木童子」の口上ですね。とっても上手で可愛いです!
見事なお手前でした。なんてね。美味しかったです。
こういうイベントとても良いね。来年もまた来たいです。
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(aoi)